TikTokのフォロワー35万人を誇る人気インフルエンサーのりぃあんさん。広告代理店で働きながらライブアイドルも兼務している。今、キラキラした舞台に立つ彼女の過去は意外にも“陰キャ”でいじめにも遭っていたという。TikTokでは知ることができない本音を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く) 1xb5b
【変わりすぎ!!】陰キャ女子→「超かわいいアイドル」に大変身した20代女性の“陰キャ女子高生時代”を見る(写真多数)
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――最初に動画を投稿したのはいつ頃でしょうか?
りぃあんさん(以下、りぃあん) 高校1年生の頃ですね。当時はTikTokではなくミクチャ(MIXCHANNEL)っていうアプリを使っていました。その当時は配信アプリじゃなくて、今のTikTokのショート動画みたいなものです。
――最初にあげた動画の内容はどんなものだったのですか?
りぃあん 変顔です。自分では歌ってないんですけど、リップシンクみたいにしながら、ちょっと変顔してみたりっていう動画ですね。
――その動画がすぐにバズった?
りぃあん そうです、びっくりしました。“いいね”がすぐに何万とついて驚きました。趣味であげただけなのにって感じだったので。
「原宿を歩いたら、何十枚も名刺をもらって…」 4gx5b
――凄いですね。それで投稿を続けられたんですね。
りぃあん 当時は可愛い子が変顔しているギャップ動画がバズっていたので、自分もそういうのを見て、いっぱい動画をあげていました。
――動画で目立ちたいという気持ちは元々あったんですか?
りぃあん ずっと目立ちたかったです。小学生の頃からモデルさんとか好きでいろんなイベントに行っていたんですけど、そこでスカウトされたりもして。原宿を歩いてたら、スカウトの方から名刺とかを何十枚ももらうこともありました。
――小さい頃から可愛いと評判だったわけですね。
りぃあん どうなんでしょうかね。でもその時に、自分は普通じゃないのかな、みたいなことは思いましたね。ちょうど同じ時期にAKB48に出会って、同じ年代の子たちが歌って踊っているのを見て、「私もこういうのやりたいな」みたいに思っていました。
「ピンクのランドセルに油性マジックで…」小学校で受けたいじめ 1u5v5p
――小学生の頃からアイドルへの憧れはあったのですね。
りぃあん はい。でも小学校低学年の頃は身体が弱くて大変でした。肺炎を患っていて、通院後に学校に行ったり、入退院を繰り返していました。それで身体が弱いっていうだけで学校でいじめられたりもしました。
――どんないじめに遭ってたんですか?
りぃあん いろいろありましたが、例えば私はピンクのランドセルで通っていたんですが、それが他の子たちと違うっていうことで油性のマジックとかで落書きされたりしましたね。でもそのランドセルで6年間通いましたよ。
――つらい経験をされたんですね。
りぃあん でも、小学校3年生の頃、病院の先生から「少しでも身体を強くするために水泳か吹奏楽をやったらいい」と言われて吹奏楽を始めたんです。そこから変わりましたね。肺活量が増えて身体が強くなりました。
朝から晩まで吹奏楽の練習をしていた“陰キャ”高校時代 6f5o6y
――どんな楽器を演奏されていたんですか?
りぃあん 最初はユーフォニアムっていう結構大きめの楽器やっていました。その後、中学でチューバをやって、高校からサックスとそれぞれ違う楽器を続けてきました。
――いろんな楽器ができるんですね。吹奏楽は楽しかったですか?
りぃあん 楽しかったというよりは、つらい思い出が多いですね。中学も凄く厳しい吹奏楽部に所属していて、高校も推薦で吹奏楽部が強い高校に入ったので、もうずっと練習していましたね。平日は授業が終わって夜まで練習して、土日も練習してみたいな。
――吹奏楽部の名門校に進学したわけですね。
りぃあん 朝から晩までずっと吹奏楽をやっていたので、上手くなりましたね。高校の頃、1年生は電車の始発で登校して、朝練で先輩が来る前に掃除をして。夜は練習が終わって帰宅したら22時過ぎ、みたいな生活が毎日でした。
でも、嫌ではなかったです。とにかく1、2年生の頃は先輩の言うこと聞いて頑張ろうと思っていたので。
当時はほんとにまったく遊ばずに、家と学校の往復しかしてなくて。黒髪で制服もキチンとしていて、完全に陰キャでした。
――陰キャというのは今のりぃあんさんからは想像できませんね。
りぃあん そうですか!? あの頃は、おしゃれしてキラキラしている子たちに憧れてましたね。放課後や休日に遊んでいる友達が羨ましかったです。
「うちはシングルマザーの家庭だった」高校卒業後、すぐに就職しようと思った理由 4s3l2i
――吹奏楽一筋だったわけですね。
りぃあん でも3年生になって、サックスでもまだ目立てないなと思っていた時に、吹奏楽とダンスパフォーマンスのイベントがあって、人前で踊ることになったんです。
それでサックスからパフォーマーに移動になったんですけど、あまりにも踊りが下手なのと、歌が音痴でヤバいよみたいになって。みんなマイク持ってるのに、私だけ真ん中で踊らされたりしてました(笑)。
――意外ですね。ではその頃の経験からアイドルになろうと思われたんですか?
りぃあん いや、当時はまだアイドルになろうとは思ってなかったですね。とにかく吹奏楽部を頑張って、高校卒業したら働いて母親を安心させたいっていう思いでした。吹奏楽部はお金もかかるし、お弁当とかもお母さんが毎日作ってくれていたので、これ以上は甘えられないなと思っていました。うちはシングルマザーの家庭だったので。
撮影=深野未季/文藝春秋
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(松原 大輔)
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06/14 11:10
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