1936年2月20日、長嶋茂雄さんは千葉県臼井町(現佐倉市)の農家で、父利(とし)さんと母ちよさんの間に生まれた。2男2女の末っ子。野球は小学生の時に兄武彦さんの誘いで始め、夢中になった。利さんが買ってくれた布製のグラブと、ちよさんが縫ったボールが宝物だった。よく「おふくろが針で指を刺して血を流している姿は、生涯忘れない」と話していた。
東京五輪が生んだ恋 長男一茂さんも球界へ―長嶋茂雄さんと家族(下)
高校時代にプロからも誘いがあったが、利さんの一存で立大進学を決めた。厳しく鍛えてもらえそうだという理由からだった。
入学後間もなく、利さんは他界する。危篤の知らせで駆け付けた息子に残した言葉は、「六大学一番の選手になれ。プロでも富士山のように日本一になれ」。長嶋さんは父亡き後の家計を心配し、大学中退とプロ入りを考えたが、家族の励ましで思いとどまった。
早くから誘われていた南海などを断って巨人に入ったのは、ちよさんに「そばにいておくれ」と言われたからだという。ちよさんは、長嶋さんが巨人監督に復帰して2年目の94年7月、92歳で亡くなった。その年、巨人は中日との「10・8」決戦に勝って優勝した。